日本庭園と茶庭 その2 [施工その後(アフター)]
こんにちは。千葉県東金市でエクステリアやガーデンの提案をしております、
株式会社ダイカワのブログ担当・藤田です。
日本庭園と茶庭のお話の続き、現在のお庭の様子をご紹介します。
この日はお客様からご連絡を頂き、古くなった垣根の交換にうかがいました。
その際に「お庭がいい雰囲気になった」とのお話を頂いたので、
中を拝見させてもらいました
中門の飾り石。
飛石。こちらも苔が出てきています。
つくばいの様子。
前回も少し触れましたが、露地は禅宗に重きをおく茶人たちによって
広がった茶庭の様式で、植栽は花や実の目立たない常緑の広葉樹や針葉樹の
松などで山里の自然な趣きを持たせ、飛石と手水鉢(つくばい)で庭の骨格をつくり、
照明として必要な石灯籠も、新しいものよりは既存のものが好まれます。
露地にはもともとは雨露のかかる、屋根や覆いのない場所の意味がありますが、
仏教用語では煩悩や束縛を脱却した境地を意味します。
世俗の塵埃を離れ、清浄で無垢の境地に至ることを理想とした茶の湯と、
その実践の場所である茶室へ続く路地には、通路という機能だけに留まらず
その境地を目指す精神(こころ)を準備をする場所なのです。
自然の厳しさや荒々しさを感じる中で悟りの境地を得る、
その環境が茶庭には求められているんですね
また古くから日本人の心の中には、
散りゆく桜や落ち葉、月日を経て苔むした岩や石など、
生き生きとした自然美よりも、こうした終わりゆく命の儚さや
もの悲しさなどに情緒的な美を見出してきた視点があります。
茶の湯の侘び・寂びも、もともとは「わぶ・さぶ」という動詞で
「わびしい、悲しい」という意味ですが、「わび」と「さび」は
この動詞の名詞形で、この意味は「さびていく、廃れていく」という
自然にあるがままの流れを指していて、単なるわびしさや
悲しさの感情を否定する表現として使われています。
茶庭が幽邃な境地を好み、茶人が華やかなものは好まないというのは、
この侘び・寂び持つ、終わりゆく美しさを大事にしているためです。
一見するとちょっと無骨で寂しく見える景色にも、様々な思いや
意識が込められているんですね~
ダイカワには京都の和風庭園で修行をしたスタッフもおります。
お茶の心得も少々ございますので、ぜひこうしたお庭のご依頼も
お気軽にご相談いただければと思います
2016-02-11 11:42
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